2005年 01月 05日
2004/12/30 夕刻 嵐山で食事をした後、河原町界隈に向い、今宵泊まる御池、鴨川沿いのホテルにチェックインする。さすがに疲れたのでしばし眠る。 今宵は大学時代からの連れと宴の予定なので店を探しに祇園方面に足を運んだ。 私が好きな場所の一つ、白川沿いの風景をどうぞ。舞妓さんの格好をされて歩かれているかたも見かけました。石畳と柳、さらに白川の流れる音が風流である。 一.白川南通り その壱 この通りは、白川南通りと違って両側に伝統的な建物が並び、昔ながらのお茶屋街らしい風情を保っている。しかし、内情は格子戸をくぐると車庫になっていたり、会員制のクラブだったりと見かけとは随分異なるようだ。しかし、そういう努力と工夫によって町並みが保たれているのは素晴らしい事だと思う。 六.かにかくに歌碑~昭和30年 吉井勇、谷崎潤一郎らによって建立 『かにかくに 祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる』作、吉井勇 吉井 勇(よしい・いさむ)プロフィール (1886~1960)歌人 1886年鹿児島藩士吉井友実の孫として伯爵家に生まれる。 政治経済科中退。新詩社に入社。北原白秋、木下杢太郎とともに「パンの会」を結成。第一歌集は酒や女に関した「酒ほがひ」。その他「午後三時」「水荘記」「蝦蟆鉄拐」等たくさんの著書がある。晩年は、爵位を返上し隠居、北白川周辺に住み祇園に通ったといわれている。 伯爵家の出ながら放蕩の生活を好み、北原白秋、石川啄木らと親交を結ぶ。明治43年処女歌集「酒ほがひ」で歌壇にその地位を築いた。京都を愛し、1938年(昭和13年)から1960年(昭和35年)に亡くなるまで京都で暮らしていた。この間、都おどりの復興など祇園のために力を尽くした。この碑は吉井勇の古希を記念して建てられたものである。この場所は文芸芸鼓として知られ、また吉井勇と親交のあった磯田多佳女が女将を務めていたお茶屋「大友」の跡であり、碑に刻まれている歌もここで詠まれたものだと言う。 『かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水のながるる』 この歌は部屋のすぐ外を白川が流れているという比喩ではなく、大友は白川に張り出して建てられていたようで、実際に床の下を川が流れていたらしい。
by taka_mura325
| 2005-01-05 13:29
|
アバウト
Information
更新頻度激減中ですが、続けて行きます。只今、過去の記事も含めて大整理中。
初訪問の方も気軽にコメント頂ければ幸いです。 ご意見・ご質問がある方はこちらまで。@は半角文字に変えてください。 人気blogランキングに参加中です。 カテゴリ
+美味なるモノを求め -和食を -和食:海鮮を -イタリア料理を -フランス料理を -中国・台湾料理を -肉・焼肉・韓国料理を -サンドウィッチ系を +非日常なるコトを求め -ハワイへ -沖縄(宮古島)へ -沖縄(本島)へ -Las Vegasへ +肉体と精神のゲンカイを求め -42.195km -under42km -Training -標高3,000m +気分を晴らすトキを求め +憧れのヒトに出遭って +華麗なるモノを求め +日常的なコト タグ
食べる・飲む(38)
渋谷区にて(17) 港区にて(9) 入手する(9) 世田谷区にて(8) 千代田区にて(7) 新宿区にて(4) 目黒区にて(4) 中央区にて(4) 神奈川県にて(3) 京都・大阪・奈良にて(2) 横浜にて(2) 荒川区にて(1) 我思ふ(1) 東海地方にて(1) 以前の記事
検索
ブログパーツ
最新のトラックバック
フォロー中のブログ
山村幸広の一日、一グラム じぶん日記 AYAKOISHII ×... TOKYOーb おさるの目指せLuxe(... 現役国際線スッチー(27... 頑張れ!OL! 粋な女!~桃源郷だより~ 杏ダイアリー 上司が外国人になったら? 桃の香りのように。 なみりこ日記 六本木“おいしー”ランチ日記 Many Classic... portagioie 中目黒あたりで・・・ ねづみのす@imabari TOKYO HAPPYLIFE ソロ活動 in TOKYO ーHK発 ことえもんのど... * Revival * その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||